クソログ

クソログ

話しかけないでくれ・・・俺・・・感情がねえんだ・・・

ああ、もうダメ。
あ、ウンチ出る、ウンチ出ます。
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュ。
いや。見ないで、お願い。
ブジュ。ジャアー、ブシャ。
ブババババババ。
んは。ウ、ウン、ウンコ。
ムリムリ。ブチュブチュ、ミチミチミチ。
おお。ウンコ。ウ、ウン、ウンコ。ウンコ見て。 ああ、もう
ダメ。はう。
ブリ。ブボ。ブリブリブリ。
いや。わたし、こんなにいっぱいウンチ出してる。
ぶびびびびびびび。ボトボトボト。
あ、ウンチ出る、ウンチ出ます。
ビ、ブリュ、ブリュブリュブリュ。
いや。見ないで、お願い。
ブジュ。ジャアアアア、ブシャ。
ブババババババ。
んは。ウ、ウン、ウンコ。
ムリムリ。ブチュブチュ、ミチミチミチ。
おお。ウンコ。ウッ、ウンッ、ウンコ。ウンコ見て ああ、もう
ダメ。はう。
ブリ。ブボ。ブリブリブリ。
いや。あたし、こんなにいっぱいウンチ出してる。ぶびびびびびびび。ボトボトボト。
あ、ウンチ出る、ウンチ出ます。ビ、ブリュ、ブリュブリュブリュ。
いや。見ないで、お願い。ブジュ。ジャアアアア、ブシャ。
ブババババババ。んは。ウ、ウン、ウンコ。

だれひとり私の目をのぞき込もうとするものはいない。敵意がひしひしと感じられる。以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私に知性が そなわったゆえに私を憎んでいる。なぜだ? いったい彼らは私にどうしろというのか?

この知性が私と、私の愛していた人々とのあいだに楔を打ちこみ、私をここから追放した。そうして私は前にもまして孤独である。

生きることは悲鳴

うまくいかないよなあ、人生って。
最近いろんなことがうまくいかない。
いろんなことがうまくいかないと、何もする気がなくなる。
何かをしてもそれが裏目にでるんじゃないかと思うと、やる前から萎えてしまう。
ブログを書く気力もあまりない。
面倒くさい。
くさい。僕の足。

かといって、何もしなければそれでいいかというとそういうわけでもない。
時が解決してくれることもあるかもしれないけれど、そうじゃないことだってある。
そうして何もしないまま時が過ぎていく。
何かをしても上手くいかない。何もしなくても上手くいかない。そうして袋小路に迷い込み、事態はどんどん悪化していく。
そして気づいたらいつも極端なことを考えている。
そうした極端な感受性はほとんどの人には受け入れられない。理解されない。
それでもいいかなって思っている自分もいる。
仕方のないことだ。

何もかもがうまくいかないと、何もしたくなくなる。
どうして自分だけが何もかもうまくいかないんだろうって思う。
もちろんそんなのは傲慢だ。
うまくいかない人なんて大勢いる。僕よりもうまくいってない人なんてたくさんいる。
というより、生きていたら自分の思い通りにいかないことの方が多いに違いない。

とにかく今は何もしたくない。
ブログも書きたくない。
布団の中でずっと眠っていたい。明日も。明後日も。

でも明日はやってくるんだ。当たり前のようにやってくる。
何もしたくなくても、何かをするしかない。止まることは死だ。
動かないのは死んでいるのと同じだ。
だからとにかく動かなきゃならない。なんでもいいから動かないといけない。

なんで何かをしなくちゃいけないんだろう。
何もしないことは死んでいるのと同じだからだ。
なんで死んではいけないのだろう。
死ぬことはいけないことだからだ。
なんで死ぬことはいけないことなんだろう。

皆死ぬのに。
動かなくなるんだ。
塵芥になるんだ。
だからこそ、今を必死に生きなきゃいけないって言う人もいる。
でも今すぐ死ぬのと、50年後に死ぬことに一体どんな違いがあるって言うんだろう。

また極端なことを考えている。悪癖だ。
こんなこと言ったって誰も耳を傾けはしない。皆自分は死なないと思っているし、死んだら、その瞬間に自分が死ぬか死なないかなんて考えることはできなくなる。
だからそんな無駄なこと考えるだけ無駄だ。
そんな風にして社会は回ってるんだ。

皆、真実から目を背けて、自分の信じたいものだけを信じて、見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、理解したいことだけ理解して、納得したいことだけ納得して何も分からないまま死んでいくんだ。

僕だってそうだ。

もう何も考えたくない。
何もしたくない。
指先一つ動かしたくない。
眠たい。いつも眠たい。
だれの話も聞きたくない。
一言だって喋りたくない。
ただ寝ていたい。
ただただ寝ていたい。
何もかも煩わしい。
何もかもが面倒くさい。
何もかもが鬱陶しい。

消えたい。風になりたい。ただ風に揺れるだけの葉っぱになりたい。

この人生はいつまで続くんだろう。
死ぬまで続く。
僕はいつ死ぬんだろう。
死ぬ時期が分かるというのはすごく怖い。
例えば、「100年後に必ず死ぬ」とタイマーのようなもので分かると、100年間確実に生きられると分かっていてもとても怖い。
一方で、仮に30年後に確実に死ぬと神様が決めていたとしても、30年後に死ぬということが自分で分からなければそれほど怖くない。

もしかしたら、僕は明日死ぬかもしれないし、3か月後に死ぬかもしれないし、100年後に死ぬかもしれない。
もし、3か月後に死ぬと分かっていたら、僕は何をするだろう。

たぶん何もしない。何をしても何もかもうまくいかないからだ。それだったら何もせずに死ぬまで眠っていたほうがましだ。
明日死ぬとしたら?
やはり何もしないだろう。
なぜなら何もしたくないからだ。
面倒だからだ。
億劫だからだ。
そんなに何もかも面倒なら僕は一体なんのために生きてるんだろう。
ただ死ぬ理由がないから生きているだけだ。
死ぬ理由もないけれど、生きる理由も特にない。
そんなんで一体なんのために生きてるんだろう。
毎日を必死に生きている人だっているのに。

でもいくら必死に生きようと、怠惰に生きようと同じように死んでいく。
必死に生きたい人が当たり前のように死んでいき、惰眠を貪る僕のような存在が当たり前のように生きている。
不思議だ。
世の中本当に不思議だ。
でも結局は皆死んでしまうのだから同じことだ。

生きる意味が見つからない。
生きる意味が見つからないのは何もしていないからだ。
何かをすれば生きる意味が見つかるだろうか。
でも何もしたくない。
生きる意味を見つける前に、何もうまくいかないことに萎えてしまうからだ。
そもそもそんなもの最初からないのかもしれない。
当てのないものを探すほどの気力は僕にはもう残されていない。

今死んで何か思い残すことはあるだろうか。
無い。
怖ろしいほど無い。
これほど生に執着しておきながら、何の未練もないのだ。
僕はただ怖いだけ。
臆病者。
臆病だから、何もしたくないんだ。
傷つきたくないから。
傷つきたくないのは誰だって同じだ。
誰だって同じならなぜ僕が傷つかなきゃならない。
そんな風にしていろんなことから逃げてきたから、何もしたくないんだ。

何かに立ち向かうくらいなら、何もかも捨て去ってしまった方が楽だ。
もう何の気力もない。

何もいらない。
欲しいものは何もない。
嘘じゃない。
何も欲しくない。
ただもう何もしたくない。ただ寝ていたい。
いつまでもいつまでも、寝ていたい。
そっとしておいてくれ。

なんの悔いもない。
このまま眠って、そのまま目が覚めなくてもなんの悔いもない。
もう何もしたくない。疲れたんだ。
いつ死んだって僕はかまわない。

あなたは何のために生きているんだ。
教えてくれ。分からない。僕には分からない。何も分からない。
何もかもうまくいかないのに、生きているのはなんでだ。
ただ辛いだけ、苦しいだけなのに生きているのはなんでだ。
わからない。なんで生きているのか分からない。
僕が今生きているのか死んでいるのかさえ分からない。

とにかく疲れた。
寝る。

サービス残業代を取り戻すには

昨今、ブラック企業という言葉がよく使われます。
労働基準法を守らずに、滅茶苦茶な残業、休日出勤をさせたり、べらぼうなノルマを課すなどの違法性の高い企業のことです。

サービス残業というと、オブラートに包んだ言い方ですが、実際は「ただ働き」です。サラリーマンというのは、自分の労働を会社に販売しているわけですから、ただ働きというのは一種の泥棒であるともいえます。サービス残業というのは、企業にとって明らかに違法行為です。
しかし、サラリーマンの立場では、なかなか会社に「残業代をくれ」とは言いにくいはずです。ですから、これだけ多くのサラリーマンが泣き寝入りしているわけです。

サービス残業代を取り戻す方法とは、簡単に言えば労働基準監督署を使うのです。会社にばれないように労働基準監督署に密告すればいいのです。これはそう難しいことではありません。
労働基準監督署というのは残業代を払っていないとか、有給休暇を取らせていないといった会社を取り締まり、労働基準を守らせるためのお役所です。

「有給休暇がとれない」「サービス残業」という職場環境は、明らかに労働基準法に違反しているので、労働基準監督署に通報すれば動いてくれます。労働基準監督署は、もしその事実を把握していながら見逃していたら責任を問われることになるので動かざるを得ないのです。

また、労働基準監督署には匿名で告発することもできます。匿名で受け付けるといっても、会社には分かってしまうんじゃないか、と心配されるかもしれませんが、公務員には守秘義務があるので、会社に告発者の名前を漏らすことはありえません。

通報、告発する手順は以下の通りです。
まずサービス残業の状況をなるべく詳細に記録します。
不当労働行為があっても、その実態があいまいであればなかなか動いてくれないことがあります。
ですから、サービス残業などの不当労働行為が行われている状況を詳しく記録して提出する必要があります。

・何月何日に何時間したのか
・業務内容はどんなものだったのか
・毎月、何時間のサービス残業があるのか


ここで注意しなくてはならないのが、サービス残業というのは、会社に残ってした仕事だけとは限らない点です。早朝出勤や休日の取引先との打ち合わせや持ち帰りの仕事なでもサービス残業に含まれます。
また、自発的に残業した場合でも、それが業務上やむを得ないものであり上司も黙認していたものであれば残業に含まれます。
「これ、明日までにやっておいて」などと上司から言われて、それが常識的に正規の就業時間内に終わらないのであれば、家に持ち帰ったり自発的に残業しても、正規の残業となるのです。それらの残業には当然、割増賃金が支払わなければなりません。

サービス残業の状況を記録したら、労働基準監督署に持っていき「労働基準違反を告発したい」と言いましょう。その先は窓口の人の誘導に従います。

労働基準監督署はお役所なので、忙しいときなどには難癖をつけて相談者を帰そうとすることもあり得ます。その場合は文章にして送るのがいいでしょう。
口頭で相談された場合は適当に追い返すことができますが、文書で送られると記録が残るので、動かざるを得ないのです。その際には、告発者に氏名は内密にするように書くことを忘れないでください。

労働基準監督署が入れば、会社はサービス残業などの労働違反環境を改善せざるを得なくなり、幾分改善されるはずです。昨今ではブラック企業とわかっていても、サラリーマンとしてはなかなか辞めることはできない現実もあります。それならば、自分で労働環境を変えるのも一手ではないでしょうか。

本音を引き出す会話とは

メンバーが不満や意見をためこまず、活発なコミュニケーションが行われている職場は、仕事の成果もでやすいものです。
そのような職場の上司は、部下の話にきちんと耳を傾け、意見を引き出すことが上手です。相手の本音をうまく聞き出すコツとはどうのようなものでしょうか。

相手の気持ちを聞き出したければ、自分の体験や感情を語ることが大切です。
部下に対して「悩みがあるなら聞くよ」と言うよりも「私も入社1年目のときは○○が上手くいかなくて苦労したよ。あなたもそう?」などとなるべく具体的な体験を伝えると「実は私も・・」と相手も答えやすくなるでしょう。
また、質問の仕方にも工夫が必要です。
カウンセリングにおいて、質問は次の2種類に分けられています。
1つは、「イエス・ノー」で答えられる「閉じた質問」。もう1つが「イエス・ノー」で答えられない「開いた質問」です。「出張はどうだった?」などがこれに当てはまります。
一般的に相手の気持ちを引き出しやすいのは、開いた質問です。自由な返答によって会話がどんどん広がっていくからです。
「開いた質問」は、同僚との会話やクライアントとのやり取りでも有効です。相手の考えを理解し、距離を縮めるためには、質問力は重要な対人スキルです。
心理学者、デビッド・リーバーマンによると「本音を話して」と言うより「全部話を聞かせて」と言うほうが、格段に相手の心を開くことができるそうです。すべてを聞く姿勢を見せ、相手が話しはじめたら、途中で遮らないことが大切です。

人を動かす上でもっとも大切なもの

人間関係をつくるのがうまい人は、人を動かすこともうまいです。
ほとんどの仕事は一人では完結できません。仲間とうまく連携していかなければ、よい仕事はできないでしょう。
では、どうすれば人は動いてくれるのでしょうか。

厳しい上司が目を光らせて、個人それぞれにノルマを課して、追い込みながら仕事をさせることがあります。人は恐怖感で、怒られると思うと頑張るからです。しかし、人はこのかたちでは継続して力をだすことはできません。結局は疲弊して退職し、人材はいつも欠乏します。そういう経営者に限って、その方法が一番だと思ってやり方を変えません。

本当に人を動かすのは信頼関係です。
相手のことを心から信頼し、お互いに信頼関係ができると人は簡単に動いてくれます。お願いをしなくても行動してくれることも少なくありません。
「チームみんなの喜ぶ顔が見たい」、「あの上司のためなら最高のものをつくろう」。そう思える力は何にも勝ります。これは会社の部内だけでなく、取引先でも同じです。担当者を喜ばせようとする気持ちが、最終的に人を動かします。
そのために、いまあなたがやることはなんでしょうか。
あなたはいま、部下、上司、同僚を信頼できているでしょうか。
あなたが会社の役職者なら、体を張って部下を会社から守ってあげられているでしょうか。あなたが一般社員なら、困っている同僚や上司を放置していないでしょうか。
困ったときに助けてもらうことは、本当にうれしいものです。
自分からまずは人を信用しましょう。

傷つきやすい人は自己評価が低い

ちょっとしたことでショックを受けたり、傷ついた気持ちを長く引きずったりしてしまう人は自己評価が低い傾向にあるといえます。
自己評価とは文字通り自分を評価することです。自己評価が高ければ、何事にも自信をもって積極的に取り組めますが、自己評価が低い人は物事に消極的になりがちです。

自己評価の低い人は、嫉妬心をもちやすいこと、周りの顔色を伺いすぎるといった傾向がみられます。
これらは自信のなさのあらわれです。
心理学者、ディーポーラらの調査によると自信のあるひとほど反省しないそうです。自分を責め、後悔するだけの反省では行動力の低下を招きます。
人生を楽しむためにも、自己評価は高いほうがよいでしょう。

また、自己評価の高い人は自分を良く評価する人を好み、自己評価の低い人は自分を悪く評価する人を好む傾向があります。これは「認知的整合性理論」と呼ばれ、人の思考は常に一貫性を求めていることを意味しています。
つまり、自己評価が低い人は、褒め言葉を素直に喜べなかったり、自分を悪く言う人に対して安心感を覚えたりするということです。これでは「自分はダメだ」という気持ちがどんどん強まる可能性もあります。
このスパイラルから抜け出すには、褒め言葉を素直に喜ぶなど、ほんの少しずつでも物事をプラスに受け止める努力をすることが大切です。
また、もしもあなたの大事な人にこうした傾向が見られたら、何度も繰り返し、相手に関するプラスの情報を与えてあげましょう。人は繰り返し伝えられると真実だと認識しやすくなります。

絶望と希望の書 <利己的な遺伝子>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2006/05/01
  • メディア: 単行本
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この本は誇張なく人生観を変えてくれた一冊です。
生物学なんてサッパリな僕がこの「利己的な遺伝子」という本を手に取ったのは、あの有名なドラマ「高校教師」の1シーンに登場したのを覚えていたからでした。
真田広之演じる主人公の男性教師からこのようなセリフが出てきます。

「全ての遺伝子が利己的であるという説が正しければ、生き物はみな本質的に孤独なんだ。
こうして集う水鳥たちも、人間だって、一人ぼっちなんだ 生まれてくるときも、死ぬときも」

当時の僕には深く理解はできませんでしたが、その言葉に酷く寂しさを感じたことは憶えています。

ドラマの中で先生のいった「全ての遺伝子が利己的であるというならば、生き物たちは本質的に孤独」というのは一体どういうことなのか。

ヒトも含め生物はしばしば利他的にふるまいます。
例えば子供のためには命をも惜しいと思わない親はたくさんいます。
これは一見、自己犠牲的な行動とか、子供に対する愛情と思われていますが、利己的な遺伝子という観点からするとそんなに非生産的なことではなく、とても合理的なことなのです。
つまり親が子供に宿ってる自分の遺伝子を守ろうとしただけのことで、一見“無償”のように思える親から子供への愛情も、実は「遺伝子の引継ぎ」という大きな見返りがあります。

40億年前に現れた自己を複製する事ができるようになった有機物質は自己を守るために身の回りにたんぱく質の壁を作ったといいます。
そして40億年経った今、その自己複製子は遺伝子と呼ばれ、たんぱく質の壁は肉体へと進化しました。
個体とは遺伝子を守るための“乗り物”で、利己的な遺伝子は自分自身を存続させるため、個体を渡り歩きながら生き延びているのだそうです。

「利己的な遺伝子というのが本当なら、人間は本質的に孤独」この言葉に潜む意味はそこにあるのでしょう。
自分たちの感情や自己実現という欲求も全て遺伝子によって組まれたプログラムだとするなら、人間は本質的に孤独なのだろうという事だと推測します。

著者はまえがきで読者にこう語ります。

「この本はほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい。イマジネーションに訴えるように書かれているからである。
けれどもこの本は、サイエンス・フィクションではない。
それは科学である。われわれは生存機械――遺伝子という名の利己的な分子を保持すべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。」

凍てつくような冷たい印象ですが、著者は「ミーム」という概念を用いて人類だけは、「利己的な遺伝子」の呪縛から逃れる能力を持っている、と主張しています。
絶望と希望を同時に与えてくれるような、そんな本でした。

高校教師 DVD BOX

高校教師 DVD BOX

関心を強く持つか否かで情報収集能力に歴然とした差が生まれる

聴覚に関係する脳の不思議な能力に「カクテルパーティー効果」と呼ばれているものがあります。
これは自分に関心のあることだけを選択的に聞き分けることができる能力のことです。

例えば、話し声で満たされているようなパーティー会場でも、近くの人と普通に会話できるのは、その人の声だけを選択的に聞いているからです。

テープレコーダーに録音すると、周囲にあるすべての音がそのまま録音されるため、なにを言っているのか聞き分けるのが困難になります。
また、自分にとって関心のある話題が話されていると、少し離れている場所であっても、それが自然に耳に飛び込んでくることがあります。ヒソヒソと小声で話されているようなことでも、それが自分の話題だったりすると、耳が敏感に反応します。
こんなことができるのは、周囲にあふれている音の中から、自分に関心のある音だけに焦点を合わせ、選択的に聞き分ける能力が脳に備わっているからです。

こうした脳のすぐれた能力は聴覚だけでなく、視覚など、その他あらゆる感覚器官に備わっています。
あなたが仮にあるタレントの熱烈なファンだったりすると、雑誌や新聞を何気なく見ていても、そのタレントの名前だけは、選択的に目に飛び込んできます。そのタレントに関心のない人が気づかないような小さな文字で印刷されていても見つけてしまうでしょう。

もっと痩せたいと思っている人なら、「やせる」「ダイエット」「スリム」などという言葉に敏感に反応するようになります。
友人と雑踏の中で待ち合わせしていても、友人の顔だけはすぐに見つけることができるでしょう。
このように、強く関心を持っていると、その情報を選択的に見つけることのできる確率が高くなるのです。
この効果を利用して情報収集能力をアップすることができます。

目標を明確にし、そのことに関心を持ち続けていると、目標を達成するために必要な情報をどんどん見つけられるようになるのです。
カーナビに目的地のデータを入力したように、脳が自然に目標に向かって常にレーダーを働かせた状態になるのです。

これは、あたかも潜在意識が勝手に必要な情報を引き寄せているような気さえするでしょう。幸運なことが連続で起きたように感じるかもしれません。
まったく同じ情報に接していても、それらの情報をただ素通りさせてしまうか、必要な情報をきちんと見つけ出し受け止めることができるか、その差が情報収集の結果の差になってあらわれるのです。

貧乏なときほどリスク志向が強くなる

「月10万円の副収入」とか「年利10%を確約」といった「うまい話」はこの世にたくさんあふれています。

むろん、本当に「うまい話」などというものはありません。

多くの人が無いとわかっていますし、引っかかってはいけないと気をつけていますし、まさか自分が引っかかるはずがないと思っています。

しかし、行動経済学的には、貧乏な人や貧乏なときほどそういう話に引っかかりやすくなります。

例えば「1万円儲かる」という話があったとしましょう。

この話に対して、貯金0円のときには「儲かるかもしれない」という大きな期待を持ちがちです。しかし、貯金が100万円あるときには「へえ」という程度の期待にしぼみ、1000万円のときにはきっと無視します。

お金が得られるかもしれない期待感や、得られたときの喜びは、所有しているお金が増えるにつれてどんどん小さくなっていくのです。

リスク商品に手を出す場合にはここに注意が必要です。
というのも、貧乏なときほど、より大きなリスクをとろうというリスク志向が強くなり「ひとつ勝負してやろう」「大きく儲けてやろう」という気持ちも大きくなるからです。

また、リターンが大きければリスクも大きく、リターンが小さければリスクも小さいという基本もあらためて認識しておくことも重要です。

この基本を忘れると、「低リスク・高リターン」の商品があるような錯覚を起こします。その結果、うまい話に引っかかる可能性が高くなるのです。

金持ちになると

金持ちになることの利点ってなんだと思う?

贅沢ができる?安定した生活が手に入る?好きなものが好きな時に買える?家族を養うことができる?好きな場所に旅行ができる?自由が手に入る?

まあ、それらもたしかに利点だといえる。

でも、そんなのはこの利点に比べると大したことじゃない。ゴミみたいなもんさ。
金を持っていることの最大の利点はね、「金なんてくだらない」って声を大にして言えることだよ。

金を持っていると「世の中お金よりも大切なものがある」、「金を持っていても幸せにはなれない」って胸を張って言えるんだ。

どういうことかって?

つまりね、金を持ってない人間がいくら「金なんてくだらない」って言ったところでただの負け惜しみなわけ。大金持ったことないくせになんでそんなことがわかんだよって話。

でも金を持っていると言えるわけ。「金なんてくだらない」って。実際に金を大量に持ったことがある上での発言だから説得力がある。
実際、金はくだらなくなくても、金持ちには「金はくだらない」って発言する権利がある。
でも金を持ってない人間にはそもそもその権利がない。仮にあったとしても負け犬の遠吠えだ。金持ちになったことがないんだから。

これは何も金だけに限らない。例えば生れてこのかた一度も彼女が出来たこともない童貞が、「恋愛なんてくだらない」「セックスなんてくだらない」って言ったところでなんの説得力もない。
ただの負け惜しみだ。
恋愛もしたことないくせにくだらないかどうかなんてなんでお前にわかんだよって話。

インプットではなくアウトプットからはじめる

「本をたくさん読む人は賢い」
そう思っている人はたくさんいます。

しかし、必ずしも本をたくさん読んでいる人が賢いとはかぎりませんし、本が少ない環境で賢い人が育たないかといえば、決してそんなことはありません。

知の巨人、ピーター・ドラッカーは本のなかに書かれていることを「知識」ではなく「情報」と位置づけました。
また、重要なのは、その情報を仕事の成果に結びつけることだといっています。

では、どうすれば本と成果を結びつけられるのでしょうか。
ポイントはインプット志向からアウトプット志向に変えることです。

インプット志向とは「なにかいいこと書いてないかなあ」とか「役に立ちそうなヒントはないかなあ」と、テーマなく本を読み漁るところから出発するということです。その中から、成果に結びつきそうな情報をさがしていくというアプローチです。

これをアウトプット志向に変えます。つまり、「どういう成果を出したいのか」を明確にすることからはじめて、そのために必要な情報が何かを明らかにし、その情報を得るために本を読むという順番に変えるわけです。

すると、無意味な読書に費やす時間を減らすことができます


また、情報を得る手段は本に限りません。アウトプット志向に変えれば、「この情報は本よりもウェブで探したほうが早そうだ」とか「本で読んでもいまいちわからない。あの人に聞いてみよう」といった手段の広がりも生まれます。

その結果、時間を効率よく使うことができ仕事の成果にもつながるのです。

人が嘘をつくさまざまな理由

嘘をつくということは、子供にとっては成長のサインでもあります。自立心が芽生え、複雑な思考ができるようになって初めて嘘がつけるようになるのです。

人は実は日々多くの嘘をついています。気の乗らない誘いを「予定があるから」と断ることもあるでしょう。恋人と観た映画が面白くなくても「面白かったね」と言われれば「ラストのシーンが特によかった」などと話を合わせることもあるでしょう。

これらは相手を傷つけないための嘘であり、人間関係を円滑にするためにはある程度必要なものです。誰もが完全に正直だったら、世の中はもっと殺伐としているはずです。

一方、嘘は使いようによっては危険な武器にもなります。トラブルや犯罪とのかかわりも深く、嘘をついて利益を得る詐欺などは、その典型です。嘘は悪いものだと教えられるのはこうしたことを防ぐためかもしれません。
ただし、悪意のない嘘であっても結果的に相手を傷つけてしまうこともあります。また、嘘をつくと知らず知らずのうちにストレスがたまるもので、嘘をつかないほうが心身ともに健康になるというデータもあります。

対人関係においてよくある嘘、12のパターン

1.予防線

人との約束を何か理由をつけて断るなど、トラブルを避けるための嘘

2.合理化

約束を守れなかったときなど、その口実や言い訳となる嘘

3.その場逃れ

していないことを「した」と言うなど、その場を逃れるためのとっさの嘘

4.利害

金銭がからんでいる場合など、自分が得する、有利になるための嘘

5.甘え

自分を理解してもらう、味方になってもらうための嘘

6.罪隠し

自分のしてしまった悪いことを隠すための嘘

7.能力・経歴

自分の能力や経歴を偽ることで、自分の立場を優位にするための嘘

8.見栄

恋人がいないのに「いる」と言うなど、自分を良く見せる、目立たせるための嘘

9.思いやり

真実を告げると相手が傷つくと思われるとき、相手を傷つけないためにつく嘘

10.ひっかけ

本当のことがわかっても笑ってすませられるような、冗談、からかいの嘘

11.勘違い

言ったことが間違っていたなど、勘違いや知識不足による結果的な嘘

12.約束やぶり

約束を守れず、嘘になってしまったもの。わざとでない場合もある。

多くの人が選んだものはよいもの?

「行列ができている」=「多くの人が食べに行っている」=「きっとおいしいはず」

こんなふうに考えてしまうのは人は皆「倹約家」だからです。

とはいってもこの「倹約」とはお金を出し惜しむという意味の「倹約」ではありません。
人はあまり興味のないことや、知識や情報を十分にもっていないことについては、極力少ない労力で判断しようとします。
こうした心理傾向を「認知的倹約」といいます。

我々は毎日小さなことから大きなことまで、さまざまな選択をしながら生活しています。
そのひとつひとつについて、自分だけの力で判断するのは非常に大変なことです。

おいしいレストランで食事がしたいと思っても、すべてのレストランで試食するわけにもいきませんし、よさそうなパソコンが欲しいと思っても、パソコンに関する知識がなければ選ぶのも一苦労です。
そこで、多くの人の意見として、行列や口コミサイトを参考にするのです。

このように個人の意思よりもまわりの雰囲気を尊重して行動することを「同調」といいます。
単なる表面的な同調もあれば、自分の意思自体まで変化する同調もあります。

我々は知らず知らずのうちに周りにあわせて行動していることがあります。

同調行動の例として、信号を守るといったルールを守ることをはじめ、他人と異なる考えを持っていても、自分だけ違った意見を言って孤立することや間違うことを恐れてまわりと意見を合わせたり、無難な黒いリクルートスーツを選んだりといったことなどが挙げられます。

敬語に長けていると多くの得をする

人間は表層的な一部の情報で相手を判断し、相手の本質を見極めているつもりになります。
例えば、フランス語や英語などの語学を習得していると賢い人だと思われます。
本来、賢さは語学習得に影響を与えますが、賢さと習得は一致した関係にありません。英語を習得していることと賢いことはまったく別のものです。これは言葉づかいにも反映される誤解の1つです。
言葉のなかでも敬語をしっかりと使える人は、品が良い、育ちが良い、さらには人間性が良いとまで評価される傾向にあります。
したがって、本当に人間性を磨かなくても敬語を習得すると人の評価は高くなるのです。

敬語がうまく使えると多くの得があります。良好な印象をつくるなら「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」「丁重語」「美化語」の5種類を使いこなせるように練習したいところです。

また、正しい敬語を使っていると人を思いやる視点が養われ、本当に人間性が磨かれていくという利点もあります。形がものの本質を変えていくのです。これはよくあることです。

尊敬語(相手が自分よりも上位であることをあらわす)

・言う⇒おっしゃる
・見る⇒ご覧になる
・する⇒なさる
・食べる⇒召し上がる
・行く⇒おいでになる、いらっしゃる
・お(ご)~になる「お帰りになる」
・~なさる「ご利用になさいますか」
・~られる「戻られる」
・お~、ご~「ご多忙、お忙しい」

謙譲語(自分の行為をへりくだってあらわす)

・言う⇒申し上げる
・見る⇒拝見する
・会う⇒お目にかかる
・行く⇒うかがう
・もらう⇒いただく
・お(ご)~する「お預かりする」
・お(ご)~いただく「ご連絡をいただきました」

丁寧語(「です」「ます」「ございます」などていねいな言葉で表現することで敬意をあらわす)

・見る⇒見ます、見ました
・行く⇒行きます
・思う⇒思います
・言う⇒言います
・今⇒ただいま
・あとで⇒のちほど

丁重語(「ます」をともなうのが特徴)

・言う⇒申します
・行く⇒参ります
・いる⇒おります
・お(ご)~いたす⇒「ご連絡いたします」

美化語(上品でていねいとされる言葉づかい)

・菓子⇒お菓子
・店⇒お店
・酒⇒お酒
・掃除⇒お掃除
・めし⇒ご飯
・祝儀⇒ご祝儀
・飲み物⇒お飲み物

ユダヤ人に学ぶお金の使い道

ユダヤ人はお金儲けがうまいと言われています。
実際、ゴールドマン・サックスやモルガンなどの国際金融資本はユダヤ系ですし、世界のダイヤモンド市場の中心にいるデビアスグループもユダヤ系です。ユダヤ人の大富豪も多いです。
そんなユダヤ人たちがお金の使い道としてもっとも重視しているものは何でしょうか。

3番目に大切にしているのは「金(ゴールド)」で、2番目に大切にしているものがダイヤモンドなどの宝石類だそうです。
長らく国土を持たず、世界各地を放浪してきたユダヤ人は、戦火に巻き込まれたり、迫害を受けるなど苦難の歴史の中を生きてきました。
常に生命の危機に脅かされてきたユダヤ人にとって、何かあったときに即座に持ち運びできる財産は非常に重要なものだったのでしょう。

ゴールドは価値が高く、どこでも通用する資産でしたが重すぎるのが難点です。ダイヤモンドなどの宝石類は、持ち運びも容易で、換金性も高いためユダヤ人は非常時の持ち出し資産として宝石類を大事にしてきました。

しかし、ユダヤ人には金や宝石よりも重視してきたものがあります。
それは「教育」です。
教育こそ、ユダヤ人がいくらお金をかけても惜しいと思わない最重要なお金の使い道なのです。

実際、ユダヤ人の教育水準は非常に高いと言われています。ノーベル賞受賞者もユダヤ人が非常に多いです。なぜ、それほどユダヤ人は教育に力を入れているのでしょうか。
それは、迫害され国を追われた歴史の中で、たくましく生き抜いて社会的地位を築くためには「頭脳」こそがもっとも重要だと思い知らされてきたからでしょう。

生きている限り「頭脳」、知識や技術、ノウハウなどは失われることはありません。着の身着のままで戦火を逃れたとしても、才覚さえあれば商売で稼いでいけます。だからこそ、教育を大事にし、学ぶことを何より重要と考えているのです。
これは非常に示唆に富んだ教えではないでしょうか。

あぶく銭は一夜にして失ってしまうかもしれませんが、学んだことは自分自身の財産になります。その財産は決して失わわれることはありません。社会的成功を成し遂げないなら、学ぶことにお金を惜しんだり、学ぶ姿勢を忘れてはならないのです。