青空に聳え立つ雲の峰が眩しい夏の盛り、皆さまお変わりございませんか。クソログです。
この1週間、私は死ぬことばかりを考えておりました。と申しますのは生きていく理由がいよいよ見つからないからです。
その実行をかろうじて引き留めていたのは私を生み育んでくれた両親に申し訳が立たないという思いだけでした。
私は昔から生きている実感が薄い人間でした。死んでいることよりも今こうして夏の光を浴びて生きているということ、そのことの方が不思議でならかったのです。
私の関心はいつも「私はなぜ生きるのか、なぜ今すぐ死んではならないのか」ということでした。だのに、世間の、つまり私以外の周囲の人たちのほとんどは、どうもそんなことには関心がないようでした。私にはそれがなんとも不思議でなりませんでした。自分が生きている意味も分からないのに、なぜそうしたことを差し置いて、瑣末なことに右往左往することができるのか。それが不思議でならなかったのです。
この年になるまで私は私と同様に私以外の人たちも同じ思いを抱えながらも無関心を装っているだけなのだと思っておりました。でも、どうやらそうではないようでした。
どうやら本当に関心がないようなのです。
もしかしたら本当はあるのかもしれないのですが、その他のことに比べれば遥かにどうでもよいことのようでした。
私に関心があることは、私以外のほとんどの人間は関心が無く、私にさほど関心がないことは、私以外のほとんどの人間は関心があるようでした。
いつだって私は私にしか興味が無い冷たい人間でした。