生きるのはどうしてこんなにもエネルギーがいるのだろう。
僕は何をするにも、すごく気力を要する。すぐに心と体が疲れてしまう。
「優しいで終わる人は思いやりがない」
そんな言葉を見ると、脳と体が硬直して動かなくなる。もう一歩も動けなくなってしまう。
「思いやりは相手の気持ちを考えて本当にやって欲しいことを察する想像力のことです。」
そんな言葉を聞くと、「ああ、そんならもういいや」ってなる。「あ、そうですか、もう限界です、無理です」ってなっちゃう。思いやりってなんだろう。そんなことを考えていると、すぐに疲れて、動けなくなって、何も考えられなくなる。
なぜ、生きるのはこんなにも気力がいるのだろう。
「思いやり」ですって? 滑稽ではございませんか。「真心」ですって? 可笑しくはございません?
僕は何もいらなかった。ただその人だけがいればよかった。「思いやり」も「真心」も何一つ求めなかった。ただその人だけがいればそれでよかった。
でも、その人はそうじゃなかった。その人には「思いやり」が必要だった。「真心」が必要だった。その人のことを察する「想像力」が必要だった。それが無い人間は切り捨てるに値するゴミ同然の人間だった。
その人にとって、僕がただそこにいるだけでは駄目だったのだ。
相手のニーズにこたえるために「思いやり」を持たなくてはならなかったのだ。
だから僕はもう考えるのをやめた。ずっと孤独に生きていこうと思った。