クソログ

孤独の海

カイエン青山

グラウンド一面がアルプススタンドを背景に烈しい夏の日に輝いている。甲子園はかつてないほど活気に湧いていた。
この観客の盛りあがりようったらないな。やはり俺は持ってる。才能を。俺は天才的な投手なんじゃないか。ハンケチで顔の汗を拭いながらサイトウは思った。サイトウは野球選手としては体の大きい方ではない。身長は175センチそこそこ。自分が剛速球投手だと思ったことはなかった。それでも相手を三振に仕留めることができると確信したのは甲子園で大会屈指の強打者、ナカタを4打数無安打3三振に封じた時だった。
サイトウは、野球は力ではない、むしろ技術だと信ずるようになった。同時に、一秒一秒、毎日毎日、汗を流して練習を積み重ねればそれだけで勝てるものではないと考えるようになった。ただやみくもに練習したって駄目な奴は駄目なんだ。ピッチングは才能だよ・・、とサイトウは思った。次第に練習で手を抜くようになった。特にサイトウはランニングが好きではなかった。
そんなことじゃプロに行ってから活躍できないぞ、と監督はサイトウに言った。サイトウは言った。「結果さえ出せばいいんでしょう?」。自信に満ちたサイトウの賺した表情を見ると、監督はそれ以上何も言えなかった。
サイトウは高校野球の汗と黒土にまみれた泥臭いイメージが大嫌いだった。試合中にハンケチを使うようになったのもそれが理由だった。ハングリーだ、ハングリーだと言い続け、辛い、苦しいと言いながら練習に耐えなければプロでは結果を残すことができないのだという定立をサイトウは覆したかった。なぜなら、どうあがいてもサイトウはハングリーになどなりえなかったからだ。1988年生まれのサイトウには生まれたときから何でもそろっていた。裕福な家庭に生まれ育ち、食えない思いなどただの一度も経験したことがなかった。真底ハングリーであるという心情は予め失われている。それでもハングリーさを求めれば、仮説として自分の中に創らざるをえない。しかし、そのフィクションは現実に裏打ちされていない。逃げ道は二つしかなかった。1つはハングリーであることに憧れ、自分もハングリーなのだと思い込むこと。もう1つは、開き直ってハングリーなんてありえないのだと決めること。サイトウは後者を選択した。

カイエン乗りてぇ
青山って すげぇオシャレだと思うんですけど
結構 緑あるじゃないですか
青山に土地買うのってやばいっすか?

将来の夢は政治家。俺はなんにだってなれる。野球なんて所詮単なる玉遊びだよ…。ものごとや世間が見えすぎてしまうことは、結局のところ遠回りすることになってしまうのかもしれない。自分から野球をとったら何もなくなってしまう、野球のためならどんな辛い練習でも耐えられる、一日一日努力することがやがて報われるのだと信じ、毎日野球、野球、野球、野球・・・と言っていられたら、そのほうが多分、目標に向かって最短距離を走れるはずだった。
高校野球、そして大学野球。どんなバッターも皆、得意の直球とスライダーでねじ伏せてきた。プロのマウンドでも同じことだ。某チームとの交流戦、サイトウはキャッチャーめがけて思い切りボールを投げ込んだ。しかしどんな球もことごとく簡単に打ちかえされる。サイトウはこれまで自分が投げてきた試合とは違う不穏な空気を感じていた。結局、3回13安打9失点でマウンドを降りた。メッタ打ちだった。
「あれほど打たれたことはなかった・・・」。
その日、初めてサイトウは泣いた。野球をやっていて、涙を流したことなど一度もなかった。甲子園で優勝してもうれし涙を流したことはなかったし、口惜しくて泣いたこともなかった。
そして、プロ野球の世界が自分と同等かそれ以上の天才、一流選手たちが生き残りをかけて凌ぎを削っている場所なのだということにようやく気づいたのだった。
サイトウは球威の無さを補おうと球速アップに取り組んだ。しかし、これまでランニングを怠ってきたせいか、下半身に力がなく、上半身に頼った投球フォームとなった。その結果、徐々に肩に負担がかかり蝕まれていった。
右肩関節唇損傷。高校時代に見られた躍動感のある投球フォームは見る影もなくなってしまっていた。
プロの打者はスイングスピードも選球眼もアマチュアに比べ、桁違いにレベルが高く小手先のピッチングで抑えられるほど甘くはなかった。
得意のスライダーを低めに投げるも、振ってくれない。二流三流の打者なら簡単に空振りしてくれた変化球で空振りがとれない。アマチュアではストライクをとってくれた外角のストレートもプロでは審判がストライクを取ってくれない。元から細やかなコントロールがなかったサイトウはだんだん投げる球がなくなった。そして、苦し紛れにストライクゾーンに投げるストレートを痛打される。プロに入ってからというもの、その繰り返しだった。
ある日サイトウは肩を怪我をしてホッとしている自分に気づいた。
怪我を隠れ蓑にすれば自分の本当の実力の限界を知らずに済む。怪我によって真の実力を発揮できなかった不遇の選手として、プロを引退することができる。
今日も中継ぎで登板したが、6連打を浴び7安打5失点。また結果を残すことができなかった。サイトウは疲れ果ててテーブルに 突っ伏していた。俺は天才ではなかったのか。俺は特別な人間で「持ってる」んじゃなかったのか。なぜ俺はここにいるんだ。なぜ俺は野球をはじめたのだろう。初めてボールを触ったのはいつだっただろうか。いくら考えてもサイトウは思いだすことができなかった。誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、サイトウは自分が初めてボールを投げた日のことを思い出そうとした。