クソログ

孤独の海

藤川天さんに思うこと

以前ひろゆきという人が高校の偏差値でその人のある程度のポテンシャルが測れると述べていたが、天さんを見ているとまさしくその通りだと感じざるを得ない。…がここではあえて学力に関する言及は控えておく。


医師の世話になったから、医師になりたいと考える。
自身が病んでいたから、自身も病んでいた人を助けたいと考える。
医師になる動機としては立派なのかもしれないが、皮肉なことに、健康な人間でなければ不健康な人間を健康にすることはできない。
なぜなら医師の仕事はとてもハード。医師になるまでもハードな上に、免許を取ってからもハード。なぜハードかというとそれだけ多くの人の人生を左右する仕事だから。リスクを負う仕事だから。ただ報酬が高いわけではない。それだけリスクが大きくハードだから報酬が高いのだ。
健康な人間でなければそのリスクとハードに耐えられない。不健康な人間ではリスクとハードに耐えられない。不健康な人間を治すには健康でなければならないのである。

医師が不健康になり不健康な人間を診れなくなれば、不健康な人間は不幸になる。不健康な医師は不健康な人間を不幸にする。
不健康な人間を健康にできるのは健康な医師だけだ。
故に不健康な人間は医師になることができない。
学力以前の問題である。医学部が面接試験を設けているのは、精神的に不健康と思われる人間を入れないためである。

だから不健康な人間は医師を目指すべきではない。
不健康な人間が医師になったとしても結局のところ患者や自分自身を不幸にする。
幸福になりたければ不健康な人間は医師になろうとするべきではない。健康な医師による医療を受けて感謝して生きていくことに留めておくべきである。

人生の中で一度くらいは無謀でしかないことに挑戦する権利は誰にでもあるのかもしれないが、自分の無力さを知るための授業料(時間を含め)が増えないことを祈るばかりである。