クソログ

孤独の海

フェアレディZ武さんがモテる本当の理由

ヒトラーと禁欲について有名な話がある。
ヒトラーの青年時代の親友にアウグスト・クビツェクって人がいるのだけれど、二人はよくリンツの歌劇場に仲良く通っていた。そして、劇場での休憩時間に二人はよくロビーをうろうろしてたのだけれど、ある日、クビツェクはその際に女の子や婦人達の視線に気付いたのだった。
クビツェクは、この何か興味ありげな視線が、最初は自分に注がれているのか、ヒトラーに注がれているのかわからなかった。もしかしたらこの視線は僕に対するものかも・・とかヒトラーよりもイケメンのクビツェクは思ったりしていた。
しかし、よく観察すると、クビツェクはすぐに気づいてしまった。この視線は自分にではなくて、ヒトラーに向けられていたものなんだということが。
ヒトラーの服装はとても質素で、態度も控えめでそっけない感じだったらしいのだが、ご婦人にはとっても人気があって、時々振り向いて彼を見る婦人すらいたくらいだったという。
これらの出来事から、クビツェクははっきりと理解した。つまり、ヒトラーは強い女運を持っていて、しかも驚いたことに彼はまったくその幸運を利用しようとしないということに。ヒトラーは大都市のさまざまな性的倒錯に強い嫌悪ををもって立ち向かっており、オナ禁をかなり長期に渡って実践していた。
いったい女性達はヒトラーのどこにそれほど魅力を感じるのだろうとクビツェクは当時よく自問した。確かにヒトラーは均整のとれた顔立ちですらりとした若者だけど、一般的に美男子と呼ばれるほどの容姿でもなかった。もしかしたら、並外れた明るい目に彼女達は惹かれていたのかもしれないとクビツェクは感じていた。
また妙に厳しく、禁欲的な表情に惹かれるのかもしれない。いずれにせよ、教師や教授などの男性とは反対に、女性達は非常に早いうちからヒトラーの中にある特別なものを感じ取っていた。
ちなみにこれらはヒトラーが15~21歳ころのエピソード、まだだれも彼をしらない無名の時代。ヒトラーは完全なオナ禁主義者だったのだ。


なぜ自分のケツについた糞もろくに拭けないZ武さんがあんなにモテるのか…。そんなふうに考えた人も一人や二人ではないだろう。

なぜ彼はモテるのか。あるものは言った。「彼は手足が不自由な分、口が達者でトークがうまいからだ。」

また、あるものは言った。「人を頼らざるを得なかった分、高いコミュニケーション能力が備わっていたからだ。」と。

いずれも間違っていないのかもしれない。だが彼がモテる本当の理由は、自分で自分の欲望を処理できない宿命づけられた強制禁欲によるものではないか…それが強力な原動力かつ溢れ出るフェロモンのようになり女性たちを惹きつけているのではないか。


…そんなふうに考えている時期が俺にもありました。

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あまり知られていない薄毛を改善するかもしれない意外な方法

薄毛に効果のある薬というのは既に存在していて、一つは血管拡張薬として開発されたミノキシジルと、もう一つは男性ホルモンが薄毛の原因となるDHTになるのを防ぐフィナステリドがあり、どちらも薄毛に有効な薬として認可されている。
いずれの薬も効果には個人差があるが、なんといっても難点は副作用の可能性があること、そしてランニングコストが発生してしまうことだろう。効果を得続けるためには薬を使用し続けねばならず、使うのをやめてしまえば再び元の状態に戻ってしまう。
では他に薄毛に効く方法はないのだろうか。実は薄毛を改善させるかもしれない意外な方法がある。
それは音読である。あの文字を声に出して読むアレである。音読は、高齢者の認知症防止や改善に有効だと言われている。音読をすることにより、高齢化で減少した脳の血流が著しく増加するからだ。
ある日、老人ホームで認知症改善のために音読をはじめた老人の髪の毛が増えていることに職員は気づいた。音読をすることで脳だけではなく、頭皮周辺の毛細血管の血流が増えたため発毛を促したのではないかと考えられる。
ボケ防止にもハゲ防止にもなって一石二鳥。薬を使わずに薄毛を改善したい人は試されてみてはいかがであろうか。

生活保護を確実に申請する方法

失職などをして再就職先も見つからず、本当にお金に困った場合、生活保護という手段があります。不正受給などの問題が取りざたされる生活保護ですが、生活保護をすすんで受けたいと思っている人は非常に少ないようです。実際、生活保護を受給できるような低所得者層の7割以上が、生活保護の申請をしていないという調査結果もあります。

生活保護というのは、日本国民の持つ権利の一つです。本当に生活に困っているのなら受けても全く構わないのです。ただし、生活保護を受給するにはちょっとしたコツがいります。というのも、不正受給や財源の問題などで、お役所の窓口では、生活保護の申請に対して非常に厳しい態度をとることも多いからです。本来、生活保護というのは、一定基準以下の収入、財産しかない人は、必ず受けられるものです。しかし、お役所の窓口が申請書を渡さないなどの嫌がらせをして、申請を諦めさせるケースが多々あるのです。こうしたお役所の対応というのは、実は違法行為であり、ちゃんとした対抗手段をとれば防ぐことができます。

また住む場所を失った場合も生活保護が受けにくくなります。本来は所在地がなくても生活保護は受けられるはずなのですが、現在の生活保護の仕組みでは、現実問題として住居がなければ申請がかなり困難になるのです。というのも生活保護の窓口は、市区町村のお役所になっているので、住居がなければ、「うちの住民ではない」と言って追い返されるケースが多いのです。本来、お役所側はしてはならないことなのですが、そういう対応になっているのが現実です。

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境界知能を改善する具体的な方法と医療業界の闇

IQ70未満であれば知的障害として支援を受けられるが、それ以上のIQであれば障害者とは認定されないので、社会的な支援を受けられない。明確な知的障害ではないけれど、健常者よりも知的に劣るグレーゾーンの人たちのことを境界知能と定義している。

IQでいうと70以上85未満の人が該当する。この基準まで知的障害として引き上げると、全体の14%と社会的に支えきれないほどの数に登るので放置されているのが実状であり、それが境界知能の方の生きづらさにも繋がっている。

現代は知識社会である。どれだけ綺麗事を並べようとこの社会は知能が高い方が有利であり、理解力や情報処理能力が平均より劣っている人にとって生きづらい社会であることは紛れもない事実である。

だが、それがIQ80から90に伸ばす方法があればどうだろう?IQ84から89まで伸ばせるとしたら?平均まで伸ばせるとしたら?

少しでも生きやすくなるのではないか?境界知能ではなくなるのではないか?

結論から言うと境界知能を改善する方法は簡単だ。ビタミンCを1日の必要量以上に摂取する。これだけ。

知能と血中ビタミンC濃度の関係について、クバラとカッツはという人たちはこんな報告をしている。
被験者は3都市にある四つの学校(幼稚園から大学まで)の学生351人。
彼らを血中ビタミンC濃度測定の結果をもとに、高ビタミンC群(血液100mlあたり1.10㎎以上)と低ビタミンC群(100mlあたり1.10未満)に振り分けた。
さらに社会経済的な指標(家族の収入、両親の教育歴)をもとに調整してペアを作り、各群から72人を選んだ。
すると、高ビタミンC群の平均IQは低ビタミンC群よりも高かった。
具体的には、平均値で高ビタミンC群は113.22、低ビタミンC群は108.71と、4.51の差があった。
条件を均一に調整した両群でこれだけの差が生じる確率は、5%以下である。つまり、統計的な有意差を以て、IQの違いが確認されたということだ。


またB群ビタミンは、特に脳・神経系で需要が高く、機能維持には必須である。

イギリスのアバディーン大学のローレンス・ワーレー教授は、サプリメントを摂取する人は、摂取しない人とくらべ、11歳のときのIQは4ポイント、64歳の時のIQは11ポイント高いことを発表した。

厚労省が出しているビタミンの摂取基準値は欠乏症にならない最低限の数値でしかない。

その何倍もの量を摂取することで効果を発揮するのであり、それは驚くほど低コストで実現できる。

厚労省の出しているビタミンCの必要量摂取量は1日100mgであるが、その10倍の1000mgを1日に接種するにはサプリを2粒ほど飲むだけ。月額500円にも満たない。

ビタミンBについても同様でさらに低コストである。

栄養素の血中濃度が遺伝的に低い、あるいは遺伝的に栄養素を脳が効率的に利用できないことでIQの低下がもたらされるのであれば、脳に必要な栄養素をそれ以上に摂取することで、IQの向上が実現できるのである。

それに水溶性ビタミンは不要な分は尿によって排出され、身体に過剰に蓄積されることがない。

精神科医がYouTube などで境界知能について語っているが、ほとんどが境界知能についての解説や慰めに終始していて、誰1人として具体的な解決策を提示しようとしない。ここでいう具体的な解決策とは境界知能当事者のIQを上昇させることである。

境界知能に対する理解や共感を社会に求めたところで何になる?それによって、結局のところ生きにくさが改善されるわけではないのだ。

ビタミンCやビタミンB群を多めに摂取する。

たったこれだけのことで改善される可能性があるなら試さない手はない。にも関わらずこうした情報が広まらないのは、彼ら医師や製薬会社にとって金にならないからである。ビタミンごときで知能が改善されては彼らは困るのだ。ビタミンでは安すぎて金にならないから。

だから彼らはコストを取るためにやれカウンセリングだの、トレーニングだの毒にも薬にもならない方法ばかりを提示し、境界知能に対する社会の理解などを求めて、もっともらしいことを言っているが、結局根本的な問題は何も改善しない。

境界知能の人の悩みや苦しみは社会に適応できない、あるいは仕事がうまくできず、この先自分が収入を得て食べていけるかといった不安である。

その傍らで何一つ改善できない医師が高い報酬を得て、人生を盤石なものにしている。

ビタミンで知能が改善されても経済効果がない。こうした背景が研究が広まらずエビデンスが蓄積されにくい現状へと繋がっている。
一方でさまざまな圧力に屈することなく研究を続けた博士の中に、ルース・フリン・ハレルというアメリカ人女性がいた。彼女は「栄養の欠如こそが、子どもの発達障害を引き起こす」と言い続けた。

ハレル博士は、口のきけない発達障害の七歳の男児に大量のビタミンとミネラルを投与、数週間後にさらにビタミンを増量したところ、急激に知能が上昇し始め、数日後には言葉を話すようになり、読み書きをし、9歳になり、通常通り小学校に通い始め、IQは90になった。

ハレル博士の功績は、社会に広まることなく、埋もれ、博士の娘、キャップ教授がそのバトンを受け継ぎ、彼女はダウン症の子どもの知能に改善が見られたと1982年に発表した。

知的障害患者は、補酵素(ビタミン)の確率的親和力が低いことから、改善のためには大量のビタミンが必要という結論に至っている。

この方法で秀才レベルや天才レベルにまで知能を向上させることは無理かもしれないが、平均未満を平均レベルにまで引き上げる可能性は0じゃない。情報が広まらないのは業界にとって利益が無いからにすぎない。

月1000円もかからないこの方法を試すか試さないかは本人次第である。

今週のお題「大発見」

犬のうんちを片付けよう

帰宅すると、敷地内に犬の糞があった。定期的に訪れる犬の糞。いや、猫かもしれないがサイズ的に犬の糞だと思われる。
僕は怒っている。本気で怒っている。お前らに。糞を片付けられないお前らに。糞を片付けられないのに犬を飼っているお前らに。資格ないって。犬飼う資格。お前らに。あると思うか?犬の糞すら片付けられない、犬の糞以下のお前らに犬を飼う資格、あると思うか?
考えたことあるか?想像したことあるか?犬の糞を放置された人間の苦しみ。悲しみ。やるせなさ。絶望。闇。わかんねぇよな?わかるわけねぇよな?考えられねぇよな?想像できねぇよな?なぜならお前らは犬の糞以下だから。犬の糞すら片付けられねぇ糞以下の存在だから。
てめぇはてめぇの家の敷地や部屋の中でした犬の糞を放置してんのか?してねえだろ?してねえよな?
自分が良ければそれでいいのか?自分さえ困ってなければそれでいいのか?罪悪感はねぇのか?罪の意識はねぇのか?
自分さえ良ければいい。自分さえ困ってなければいい。自分さえ幸せなら他の人間は苦しんでいようが困っていようが知ったことではない。そういった人の迷惑を一切顧みず、自分のことだけを考えている人間はめぐりめぐって結果的に不幸になるように思う。
以前、糞をする際、便座に糞をつける人間がいること聞いたことがある。便器ならいざ知らず、便座に糞。なぜこんな摩訶不思議なことが起こるかというと、潔癖であるがゆえに便座からケツを浮かせて糞をするため、便座に糞がついてしまうというのだ。
便座に糞がつくのでますます便座にケツをつけることができなくなり、ますます便座に糞をつけるのである。本当にマヌケな話である。
自分さえ良ければそれでいいという思考は結局のところ自分自身を苦しめている。

そしていつだって便座についた糞を拭くのは当の本人ではない。
犬の糞放置だって同じだ。放置された犬の糞を掃除するのは放置した飼い主ではない。こんなこと許されていいのか?まかり通っていいのか?こんな社会でいいのか?これが美しい国か?ニッポンか?犬の糞の放置が許される国が美しいわけがない。

人様に迷惑をかけてはならない。犬の糞を放置して迷惑をかけてはならない。こんな簡単なことすらわからねぇのか?習わなかったか?教えてもらわなかったか?親に、教師に、友人に、同僚に、上司に、お天道様に。犬の糞を放置して、人様に迷惑をかけてはならぬって教えてもらわなかったか?

そうだとしたらお前らも不幸な人間なのかもしれない。人として大切なことを教えてもらわず、あるいは教えてもらえたのにも関わらず、それが理解できずに犬の糞を放置するという犬の糞以下の存在にしかなれなかったという意味においては被害者的な側面もるのかもしれない。
だがな?そうはいってもな?お前の犬の糞を放置して拾わないという行動が人に迷惑をかけている、人を困らせている、人を苦しめている、人を悲しませている、というのは疑いようのない事実なんだよ。
変えられない事実。現実なんだ。

そんなに犬の糞を持ち帰りたくなければ、犬など飼わなければよいだろう?犬の糞が汚いと思うなら、飼わなければ良いだけだろう?それで解決だろう?犬の糞を持ち帰らないのに犬を飼いたいってのがそもそもおかしな話しなんだ。なぜなら犬は絶対糞をするし、糞をするタイミングをコントロールすることもできないからだ。糞の放置というのは解決ではない。なぜ犬を飼ってもいない人間が解決しなくてはならない。お前がやれよ。お前が持ち帰れよ。糞を。犬の糞を。
人にやらすなよ。自分でやれよ。自分の犬の糞くらい自分で拾えよ。そんなこともできないなら飼うんじゃねえよ。
お前は好きで飼ってるからお前はお前の犬が好きなんだろう。だがおまえのやっていることは結局のところお前の犬を悪犬にしている。罪犬にしている。お前が糞さえ持ち帰ればいいのにそれをしないばかりに、お前の犬を悪犬にしているんだ。お前が糞を持ち帰れば、可愛い愛犬なのに、お前が糞を持ち帰らないばかりに、人に迷惑をかけるクソ犬にしてしまってるんだ。人を癒す可愛い犬ではなく、人を苦しめ、悲しませ、絶望させる、クソ犬に仕立てあげてしまってるんだ。
いいのかよ。本当にそれでいいのか?満足か?嬉しいか?
お前だって怒るだろ?腹立つだろ?むかつくだろ?自分の敷地内に犬の糞を放置されたら怒るだろ?嫌だろ?悲しいだろ?やるせないだろ?嬉しいのか?犬の糞放置されて、やったーって思うか?ありがとうございますってなるか?ならねぇよな?ならないだろう?だったらよ、やっぱりそれはやってはならねぇことなんだよ。やってはならねぇことをやって平気な人間になったらそれはもう終わりなんだよ。そんな人間になったら終わりなんだ。捕まらなかったらいい。罰則にならなければいい。訴えられなかったらいい。それならなにやってもいいっなったら人間終わりなんだよ。そうなるなよ。犬の糞くらい拾って帰れ。犬の糞以下になりたくなかったら犬の糞は持って帰れ。放置するな。片付けよう。犬のうんち。

嫌だよ

モリタクさん。死なないでよ。いなくならないでよ。消えないでよ。僕のそばにいてよ。いつまでも僕のそばにいてよ。会ったことないけどさ。会いたい。会いたいよモリタクさん。なんで死んじゃうんだよ。なんでいなくなっちゃうんだよ。なんで消えちゃうんだよ。人はいつか必ず死ぬ?そんなことはわかってる。だったらなんのために医者はいるんだ?人が必ず死ぬなら医者はなんのためにいるんだ?なんの意味があるんだ?モリタクさんを助けられない医者に何の意味があるんだ?何の価値があるんだ?治せよ膵臓癌。賢いんだろ?すごいんだろ?碩学なんだろ?治せよ。癌。消せよ。癌。殺せよ。癌。生かせよ。モリタク。誰1人としてできないじゃねぇか!この役立たず!うんこ!!

…いや、それは言いすぎた。わかってる。無理言ってること。無茶苦茶言ってること。でも辛すぎる。苦しすぎる。悲しすぎる。モリタクさんが見れないなんて。モリタクさんに会えないなんて。モリタクさんの声が聞けないなんて。

嫌だ嫌だ嫌だ。死ぬな死ぬな死ぬな。生きて生きて生きて。

モリタクさんが見たい。モリタクさんの笑顔が見たい。いつだってモリタクさんに励まされて、モリタクさんに勇気づけられてきた。モリタクさんがいたらこそここまでやってこられた。生きてこられた。頑張れた。なのに。それなのに。モリタクさんを奪うなんて、神様はあまりにも残酷です。あまりにも無慈悲すぎます。

奪わないでください。モリタクさんを。モリタクさんの笑顔を。モリタクさんの命を。

大好きだった。希望だった。今だって大好きだし、希望だ。モリタクさんは希望なんだ。奪わないでくれ。大好きなモリタクさんを奪わないでくれ。希望を奪わないでくれ。

好きです。モリタクさん。大好きです。モリタクさん。いつまでもいつまでもずっと大好きです。忘れません。モリタクさん。いつまでもいつまでもずっと忘れませんモリタクさん。

憎い。癌が憎い。膵臓癌が憎い。ステージ4が憎い。許さない。絶対に許さない。癌。モリタクさんを奪うお前らを絶対に許さない。モリタクさんを苦しませるお前らを絶対に許さない。癌。消えろよ。頼むから消えろ。消えてくれ。消えろ消えろ消えろ。癌。俺はお前らを絶対に許さない。モリタクさんを苦しませるお前らを絶対に許さない。

大好きなモリタクさんを苦しませる癌、お前らの存在を絶対に許さない。憎い。

モリタクさん寂しいよ。モリタクさんがいなくなったら、何を支えに生きていったらいいんだ。モリタクさんだけが支えだったのに、そのモリタクさんを失ったら何を希望に生きていったらいいんだ。何もない。モリタクさんがいない人生にいったい何の意味があるんだ。モリタクさんのいない人生に何の価値があるんだ。わからない。もう何もわからない。寂しいよ。悲しいよ。助けてよ。モリタクさん。モリタクさんのいない人生なんて想像するだけで反吐が出るよ。モリタクさんのいない世界に何の意味があるんだ。モリタクさんのいない世界になんの価値があるんだ。モリタクさんのいない世界なんてゴミじゃないか。ゴミみたいな世界に生きてゴミみたいな飯食って、ゴミみたいなクソして、何の意味があるんだよ。教えてくれよ。

モリタクさん。モリタクさんとやり残したことたくさんあるよ。モリタクさんと海辺をお散歩したい。モリタクさんと水族館に行きたい。モリタクさんと居酒屋で日本酒飲みたい。モリタクさんと美術館行きたい。モリタクさんと二郎系ラーメン食べたい。モリタクさんと野球観戦したい。モリタクさんとバイク乗りたい。モリタクさんと聖地巡礼に行きたい。モリタクさんと和食の朝ごはんを食べに行きたい。モリタクさんと脱出ゲームしたい。モリタクさんと動物園に行きたい。モリタクさんとガラス工芸体験したい。モリタクさんとゲームセンターで遊びたい。モリタクさんと動物カフェに行きたい。モリタクさんと下松健康パークに行きたい。モリタクさんと公園でピクニックしたい。モリタクさんとミュージカルを観に行きたい。モリタクさんと映画を観に行きたい。モリタクさんと美味しい焼肉が食べたい。

まだまだたくさんあるんだ。もっといっぱいあるんだよ。モリタクさんとやりたいこと。

なのに。それなのに。あんまりだよ。酷いよ。残酷すぎるよ。これが現実か?これが世界か?これが人生か?

いったい何したっていうんだよ。モリタクさんが何したっていうんだ。モリタクさんが何か悪いことしたか?何にも悪いことなんかしてないだろうが。モリタクさんは頑張ってきたじゃねえか。ずっと頑張ってきたじゃねえか。それなのに何でだ。何で何だよ。なんでこんな仕打ちなんだよ。これだけ頑張って数え切れないほどの人たちに希望を与えてきたモリタクさんになんでなんだよ。ふざけんなよ。本当に。なんでモリタクさんなんだよ。納得いかない。許せない。本当にふざけんな。

嫌だよ。だめだよ。ずっといてよ。いなくならないでよ。悲しいよ。寂しいよ。モリタクさんのことは忘れない。

好きだよ。ずっと大好きだよ。モリタクさん。大好き。

睡眠と散歩が最強の自己啓発

橘玲センセー。つまらん、つまらんよ。
仮に本当にそれが正しいとしてもさ、希望なさすぎるよ。

だってそうだろ?ボンクラが睡眠と散歩を充実させ、それを徹底したところで勝ち組になれると思うか??

センセーのスタイルは昔からそうだよね。
結論はいつもすごくシンプルで大量の研究とエビデンスを引用して、そのシンプルな結論が正しいことを説明していくスタイル。
結論自体はすごくありふれていてつまらない。
睡眠と体を動かすことが大事。そんなの誰だってわかってるよ。
だからってそれをやったからって何か変わるんか??

お金に関する本もそう。資産を形成するには収入を増やして支出を減らして、それを運用利率でかける。
収入を増やすにはなるべくたくさん働くこと。支出を減らすには余分なものにお金を支払わないこと。
お金があればある程度幸せになれる。
そりゃわかってるよ。当たり前すぎてつまらない。
そんでもって1500円そこそこの本に人生を変えることを期待することは期待が大きすぎるって言うんだもん。
そりゃそうだけどさ。こっちはお手上げだよ。

だからセンセーの本で1番面白いのはまえがきかあとがき。あとがきからは文学の香りがするから。
それ以外は最近エビデンスの羅列ばかりで面白くない。
内容の重複も多いしさ。

本当の馬鹿は自分が馬鹿だということにすら気づけない

最近の受験生版タイガーファンディングを観ていると、東大に行きたい、東大の最難関の理科三類に入りたい、と。こんな奴らばかりなんだが、東大どころか、小中学の内容からやり直した方がいい学力レベルで、理想と現実が乖離し過ぎているっていうのが、大半の人の感想であり認識なのだけれど、本人だけがわかってないという様子。

難易度に対して自分の能力がどのくらい離れているのかっていう距離感がわかってない。

自分が馬鹿だということすら認識できないから、実現不可能なとんでもなく高い目標を掲げるのだろう。

しかも大して勉強もしてない。

こいつらに必要なのは受験などではなく、ハローワーク、職業訓練に通い、労働をすることである。

それ以外の道はない。なぜなら一生合格できないから。

ヨットマン戸塚はリベラルは悪だと言っていたが、こいつらを見ているとそれがよく理解できる。

たしかに目指すのは自由である。リベラルな観点からは、こいつらが東大を目指すことは何も悪いとこではない。

たが、現実はどうだ??いつまでも受からないものを目指し続けて、社会には出ず、税金も納めず、自立もできやしない。

自由がもたらした弊害じゃないのか?

どれだけ自由でも結果的に自立できなければそれはヨットマン戸塚の言うように、教育の失敗であり、リベラルは悪だということになる。

リベラルの欠陥は機会は平等でも能力は平等じゃないのに、能力の平等まで前提にして機会を平等にしていることだ。

人は平等ではない。生まれた時から与えられたものは違うのだから。人は身の丈をこえたものを求めると不幸になる。貧乏人が金持ちのふりをするべきではない。無能が有能のふりをするべきではない。貧乏人は倹しさのなかに幸福を求め、馬鹿は馬鹿なりに一生懸命できることを頑張ればよいのだ。それがもっとも賢明な生き方である。賢い人間は運命に逆らわない。


重要なのが仏教に由来する概念、「諦観」という心の持ち方である。諦観とは、「あきらめる」という意味と共に、「悟る」という意味を持つ。


諦観の心、すなわち「あるがままを受け入れる」「足ることを知る」といった「イメージ」を常に持つようにして生きる。

そうすれば、必要に応じて「なすべきこと」が頭に思い浮かぶようになる。

今週のお題「大発見」

動けないサイヤ人など必要ない

治せない精神科医など必要ない。本当にそうだろうか?

そうである。

「精神科医は心を治すことが仕事なんでしょ? でも治せていないじゃないか、じゃあお前は何をやっているんだ」 「お前はいらない、役立たずだ」などといったことを精神科医は患者から言われることがよくあるらしい。

人間の精神という目に見えない複雑なものを扱うが故に、治す努力はしても現実には治らないこともある。
理想と現実は違っていて、その狭間の中で理想を実現する努力はしている。

でも、そんなこと言い出したらどんな仕事でもそうじゃねえか??

車の整備士が同じこと言っても納得できるか??理想に近づくため修理する努力はしましたが、現実には治りませんでした!
いや、治せないならいらんわってなるだろ。

それで一銭も受け取りませんならまだ理解できるが、治せなくても結局、報酬受け取ってますやん。

心を治すのは精神科医の仕事、治せないなら精神科医は不要。
それを言われるのを込みの仕事みたいなもんだろ。
治せなくても金が貰えるんだから。
治せるなら当たり前に必要。

手術の成功確率0%の執刀医は要らない。簡単な話だろ。
理想と現実の狭間でみたいな話で煙に撒くんじゃねえよ。

カイエン青山

グラウンド一面がアルプススタンドを背景に烈しい夏の日に輝いている。甲子園はかつてないほど活気に湧いていた。
この観客の盛りあがりようったらないな。やはり俺は持ってる。才能を。俺は天才的な投手なんじゃないか。ハンケチで顔の汗を拭いながらサイトウは思った。サイトウは野球選手としては体の大きい方ではない。身長は175センチそこそこ。自分が剛速球投手だと思ったことはなかった。それでも相手を三振に仕留めることができると確信したのは甲子園で大会屈指の強打者、ナカタを4打数無安打3三振に封じた時だった。
サイトウは、野球は力ではない、むしろ技術だと信ずるようになった。同時に、一秒一秒、毎日毎日、汗を流して練習を積み重ねればそれだけで勝てるものではないと考えるようになった。ただやみくもに練習したって駄目な奴は駄目なんだ。ピッチングは才能だよ・・、とサイトウは思った。次第に練習で手を抜くようになった。特にサイトウはランニングが好きではなかった。
そんなことじゃプロに行ってから活躍できないぞ、と監督はサイトウに言った。サイトウは言った。「結果さえ出せばいいんでしょう?」。自信に満ちたサイトウの賺した表情を見ると、監督はそれ以上何も言えなかった。
サイトウは高校野球の汗と黒土にまみれた泥臭いイメージが大嫌いだった。試合中にハンケチを使うようになったのもそれが理由だった。ハングリーだ、ハングリーだと言い続け、辛い、苦しいと言いながら練習に耐えなければプロでは結果を残すことができないのだという定立をサイトウは覆したかった。なぜなら、どうあがいてもサイトウはハングリーになどなりえなかったからだ。1988年生まれのサイトウには生まれたときから何でもそろっていた。裕福な家庭に生まれ育ち、食えない思いなどただの一度も経験したことがなかった。真底ハングリーであるという心情は予め失われている。それでもハングリーさを求めれば、仮説として自分の中に創らざるをえない。しかし、そのフィクションは現実に裏打ちされていない。逃げ道は二つしかなかった。1つはハングリーであることに憧れ、自分もハングリーなのだと思い込むこと。もう1つは、開き直ってハングリーなんてありえないのだと決めること。サイトウは後者を選択した。

カイエン乗りてぇ
青山って すげぇオシャレだと思うんですけど
結構 緑あるじゃないですか
青山に土地買うのってやばいっすか?

将来の夢は政治家。俺はなんにだってなれる。野球なんて所詮単なる玉遊びだよ…。ものごとや世間が見えすぎてしまうことは、結局のところ遠回りすることになってしまうのかもしれない。自分から野球をとったら何もなくなってしまう、野球のためならどんな辛い練習でも耐えられる、一日一日努力することがやがて報われるのだと信じ、毎日野球、野球、野球、野球・・・と言っていられたら、そのほうが多分、目標に向かって最短距離を走れるはずだった。
高校野球、そして大学野球。どんなバッターも皆、得意の直球とスライダーでねじ伏せてきた。プロのマウンドでも同じことだ。某チームとの交流戦、サイトウはキャッチャーめがけて思い切りボールを投げ込んだ。しかしどんな球もことごとく簡単に打ちかえされる。サイトウはこれまで自分が投げてきた試合とは違う不穏な空気を感じていた。結局、3回13安打9失点でマウンドを降りた。メッタ打ちだった。
「あれほど打たれたことはなかった・・・」。
その日、初めてサイトウは泣いた。野球をやっていて、涙を流したことなど一度もなかった。甲子園で優勝してもうれし涙を流したことはなかったし、口惜しくて泣いたこともなかった。
そして、プロ野球の世界が自分と同等かそれ以上の天才、一流選手たちが生き残りをかけて凌ぎを削っている場所なのだということにようやく気づいたのだった。
サイトウは球威の無さを補おうと球速アップに取り組んだ。しかし、これまでランニングを怠ってきたせいか、下半身に力がなく、上半身に頼った投球フォームとなった。その結果、徐々に肩に負担がかかり蝕まれていった。
右肩関節唇損傷。高校時代に見られた躍動感のある投球フォームは見る影もなくなってしまっていた。
プロの打者はスイングスピードも選球眼もアマチュアに比べ、桁違いにレベルが高く小手先のピッチングで抑えられるほど甘くはなかった。
得意のスライダーを低めに投げるも、振ってくれない。二流三流の打者なら簡単に空振りしてくれた変化球で空振りがとれない。アマチュアではストライクをとってくれた外角のストレートもプロでは審判がストライクを取ってくれない。元から細やかなコントロールがなかったサイトウはだんだん投げる球がなくなった。そして、苦し紛れにストライクゾーンに投げるストレートを痛打される。プロに入ってからというもの、その繰り返しだった。
ある日サイトウは肩を怪我をしてホッとしている自分に気づいた。
怪我を隠れ蓑にすれば自分の本当の実力の限界を知らずに済む。怪我によって真の実力を発揮できなかった不遇の選手として、プロを引退することができる。
今日も中継ぎで登板したが、6連打を浴び7安打5失点。また結果を残すことができなかった。サイトウは疲れ果ててテーブルに 突っ伏していた。俺は天才ではなかったのか。俺は特別な人間で「持ってる」んじゃなかったのか。なぜ俺はここにいるんだ。なぜ俺は野球をはじめたのだろう。初めてボールを触ったのはいつだっただろうか。いくら考えてもサイトウは思いだすことができなかった。誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、サイトウは自分が初めてボールを投げた日のことを思い出そうとした。

みやもさん作家になるってよ

友人、知人のみなさんへ大事なご連絡|宮森勇人(Hayato Miyamori)

もう誰も応援しないよ。政治家やブロガーやラッパーや画家はどうした。
どれも応援する人たちがいたと思う。絵を購入した人もいたと思う。結局のところ、全て道半ばで辞めて、期待して応援してきた人たちを裏切っている。

なぜいちいち表明する。なぜいちいち時期を決める。書きたきゃ書けばいいだけの話。というか、作家は皆そうしてるはず。いちいち、意気込みや時期など表明しなくても書きたい人は書いてる。

みやもさんがこれまで目指してきたことに共通することが一つだけある。君は全て手段と目的が逆なんだ。

政治家になるために政治活動をするんじゃない。政治活動をしたいから政治家になるんだ。
ラッパーになるためにラップをするんじゃない。ラップで表現したいことがあるからラッパーになるんだ。
画家になるために絵を描くんじゃない。絵を描きたいから結果的に画家になるんだ。

何かになるために何かをやるのではなく、何かをやるから何かになるんだ。

みやもくん。君はまた同じ過ちを繰り返そうとしてる。作家になるために何かを書こうとしてる。書きたいものがないのにそれっぽいものを書こうとしている。そのネタが尽きて、物書きで周囲の評判が得られないとわかった時、また君は挫折する。

君の周りのお友達はそのことに気づいてる。
君が自己愛が肥大化したモンスターだってことに。

みやもくんがどうしても捨てられないもの。それは自我だ。
俺は見たいんだよ。エゴが行き着く先に希望はあるのか…?みやもくんのエゴが誰かを幸せにできるのか…?それとも自らのエゴに焼かれて、みやもくんが消滅してしまうのか。
俺に自我が肥大化した人間の行き着く先を見せてくれ。

結果にビックリ!「あがり症改善プログラム」!

先日、会社の3分スピーチで、
頭の中が真っ白になり、
上司からすすめられた「あがり症改善プログラム」。

もうあんなに恥ずかしい思いはしたくないので、
自宅でしっかりと取り組みました。


まず、私が「これはいい!」と思ったのは、
メンタル面のサポートが手厚い教材だということです。

この教材は、極度のあがり症を克服した
心理カウンセラーが作ったものです。

技術を学んだだけでは改善できないあがり症を、
心理学の観点から丁寧にサポートしてくれます。


私が特に気に入ったのは、
15分間の「あがり症を改善する催眠誘導音声」です。

これは、ただ聞き流すだけで、
あがり症を改善できるというスグレモノ。

疲労回復の効果もあるので、
会社から帰ってきてから、
毎日聞いてリラックスしていました。


さらに、この心理カウンセラーは、
あがり症を克服した後、
スピーチの全国大会で準優勝した実績があるそうです。

そのため、スピーチやプレゼンに
必要な技術にも精通しています。

休日を中心に、これらの技術もしっかり学びました。


そして、とうとう再びやってきた、
会社の「3分スピーチ」の日。

前回、頭が真っ白になってしまったので、
少し不安はありましたが、
なんと、堂々と落ち着いて話すことができたのです。

終わった瞬間、心の中でガッツポーズをしたのを覚えています。

この教材を紹介してくれた上司も、
笑顔でうなづきながら聞いてくれていました。

あがり症って、改善できるんですね。

長年苦しんできたので、そのことにちょっと感動しました。

そして何より、
この「あがり症改善プログラム」を紹介してくれた上司に、
感謝を伝えたいと思います。

本当にありがとうございました!

あがり症改善プログラム〜1日たった15分!?極度のあがり症を改善した心理カウンセラーが教えるある方法とは?〜

なぜ、あがり症改善には心理療法が必要なのか?

あなたは、人前に出た途端、
頭が真っ白になったことはありませんか?

それまでに、しっかりと準備やリハーサルをしてきたのに、
本番で何一つ発揮できなかった…。

こういった経験は、
「トラウマ」になるぐらい、ショックな体験ですよね。

この「人前で頭が真っ白になる」という現象は、
なぜ起こるのでしょうか?


あがり症は、スピーチやプレゼンの技術を学んだだけでは改善できません。

それは、あがり症が、
「あなたの心が引き起こしている現象」だからです。

もちろん、
スピーチやプレゼンの技術が必要ないというわけではありません。

ただ、それだけでは、片手落ちなのです。

どれだけ学んで技術を身につけても、本番で発揮できなければ意味がないと思いませんか?


つまり、あがり症が「あなたの心が引き起こしている現象」なら、心理療法を使うことが、あがり症改善の近道というわけです。

えっ!心理療法を使って、あがり症を改善する方法?

あります!
しかも、自宅でこっそりと進められるプログラムです。
あがり症改善プログラム〜1日たった15分!?極度のあがり症を改善した心理カウンセラーが教えるある方法とは?〜

“聞き流す”だけで「あがり症」を改善する方法

“聞き流す”だけで「あがり症」を改善!?

そんなことが、本当に可能なのでしょうか?


通常、人間が認識している意識の部分は、
たった5%しかありません。

その意識の下には、95%も占める「潜在意識」と呼ばれる部分があります。

あなたの意識の95%を味方にできたら、
今までできなかったことができるようになるのは、
当然だと思いませんか?


つまり、この「潜在意識」に直接メッセージを届けるからこそ、“聞き流す”だけで「あがり症」を改善できるのです。

それも、1日たった15分!

あなたの好きな場所で、あなたのペースで進めることができます。

あなたも、プロの催眠療法士が作成したこのプログラムを使って、今すぐあがり症を改善しませんか?

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